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2007年11月

2007年11月19日 (月)

KALUA

_igp2036 ▲KALUA&LHO (KALUA 50th ANNIVERSARY)
2004.11.07@BLUE NOTE TOKYO

約40年前、小生が在学中には、大学が文化団体(文連)として公認している軽音楽団体は2つのビッグ・バンド(ライト、KMP)と4つのハワイアン・バンド(カルア・アイランダース、バール・アイランダース、モダン・シャックス、サウス・シー・フラワーズ)がありました。

今になって思うと、よくそんなに一つの大学にいくつもの公認バンドがあったものだと感心してしまいますが、各バンドとも練習にステージにと、忙しくバンド活動をしていたのですから、まさに良き時代だったと思います。

ステージの内容は大体3つに分かれました。
①学生団体主催のダンス・パーティー
②各地三田会主催のコンサート(ビータ)
③企業主催パーティーでの演奏

正確には資料が残っていませんが、3つあわせて年間100回位はあったと思います。その間をぬって春夏の合宿、TBSバンド合戦参加、そのための練習と、ホントに忙しかった!

その年間100回のシゴトの内、1/3はカルアと一緒のステージでした。「カルアとライト」というパッケージが主催者にとって魅力的だったのと、片方のバンドに来たシゴトの相バンに、もう片方を指名する・・というマネージャー同士の固い絆の上に成り立ったものでありました。(この辺の詳細は別記事にてのちほど・・)

カルアの魅力は、スタンダードなハワイアンに飽き足らずに、時代を半歩先読みして、常に変化させていくセンスにありました。目指す音楽に合わせてメンバーを見つけるのか?入部してくるキャラクターにあわせてバンドのコンセプトを決めるのか?その辺は定かでありませんが、学生離れした、大人でオシャレな音楽を聴かせてくれるグループとして人気を集めていました。

小生が入学した頃、カルアは「ドン・ホー&アリーズ」の様なモダン・ハワイアンを目指していました。ソロ・ボーカルの故 依田さんを前面に押し出したステージを見て、新入生の小生は「こりゃーすげえ!大人だなー!流し目してる!色っぽいなー!」と、たまげた記憶があります。

その後、フォー・フレッシュメンのモダンなコーラスもレパートリーに取り入れつつ、女声リードの時代へと移っていきました。いち早くセルジオ・メンデス&ブラジル66にチャレンジし、バンド名もThe KALUA’68と改名しました。三原光恵さんの歌う「マシュケナダ」は素敵でした。

1年経過する度に、’69、’70とスタイルを進化させていきました。宮崎正子、田中裕子、2TOPの時代も花がありました。フィフス・ディメンションやルグラン物などがチャーミングでした。それと、お二人の短いスカートからはみ出たおみ足。シーセクなドリオ。そりゃもうたまりまへんでした!

とまあ、現役時代のカルアの魅力を手短にお話すると、以上のような感じであります。LHOは3年前にカルア50周年のパーティーのお話をいただいて、演奏させていただきましたが、その時のカルアの後輩達の演奏は、R&B、ブラコン、フュージョンと、時代とともに驚くほど進化していました。先輩からの「時代先読みの精神」は充分に受け継がれているなあ、と感服した次第であります。

(LHO橋本)

2007年11月 5日 (月)

「リトルマヌエラ」というお店

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▲都内某所で上海蟹をパクつく店主、中田夫妻

赤坂、一ツ木通りに「リトル・マヌエラ」というJAZZ CLUBがあります。店主、中田光雄は慶大時代、小生と同期で、KMP New Sound Orch.というBig Bandに所属し、ピアノを弾いていました。ライトとKMP。同じ大学の2つのBIG BANDは、良きライバルでしたが、バンドを離れると個人的に友人も多く、当時パーティーなどコンボで頼まれた仕事(ショクナイ)は殆ど中田にピアノを頼んでいました。

卒業して中田は某大手コピー機器メーカーに就職しましたが、夜な夜な盛り場に出没してピアノを弾く毎日が続きました。ある日、大阪転勤を命ぜられましたが、彼はそれを嫌いサラリーマンを辞めました。理由は「ピアノが弾けなくなるから。JAZZ仲間に会えなくなるから。」

そんな中田の心意気に感じ入ったJAZZ好きの人達からの絶大な応援に支えられて、26年前に「リトル・マヌエラ」をオープンしたのです。店名は戦後、内幸町にあったナイトクラブ「マヌエラ」に由来します(詳細はマヌエラHP参照)。店内にはテーブル付きグランド・ピアノ、ベース、ドラム・セットを置き、ターゲットをアマチュア・ボーカリスト、ミュージシャンに絞り込みました。スタート時、巷はカラオケ・ブームでしたが、それに飽き足りなくなった人達に向けて店主がJAZZ&STANDARD曲の歌伴をする、日本語の歌は禁止、という試みが斬新で、店は毎日超満員の大盛況となりました。お忍びで来店するJAZZ好きな著名人や、国内外のプロ・シンガーやミュージシャンも多く、思わぬハプニング・セッションが始まったりするのもマヌエラの魅力の一つとなりました。

小生も店に行く度にドラムで遊ばせてもらっています。「歌伴の楽しさ」を勉強できたのはマヌエラのお客さんのおかげかもしれません。LHOの新井BASSはオープン当初から毎週金曜日にレギュラーでベースを弾いています。LHOは土曜日の昼間、店を貸りて練習をしています。窓側にSAX、カウンター前がTB、奥にTPと、客席を使うと丁度17人編成にピッタリの練習スペースになります。ドラムセットは多少古いが、足まわりは橋本仕様に改良してあるので使い心地は最高です。20周年など、店の節目毎に行われるウエスティン・ホテルや帝国ホテルでのパーティーには、何度もLHOにお声がかかり、ハイソな雰囲気の中、歌伴やBGMを演奏させていただいています。

というわけで、リトル・マヌエラとLHOは大変に深く長いお付き合いですが、HPでもリンクしています。マヌエラHPの管理人:爵士樂堂さんは塾の先輩であり、マヌエラをフランチャイズとするコーラス・グループ「OZ SONS」のテノールでもあります。

マヌエラHP  http://www.littlemanuela.com/
JAZZにまつわる話  http://www.ozsons.com/
THE OZ SONS PIT  http://www.ozsons.com/ozsons-pit/

の3つのHPの管理人をされていますが、その情報量は素晴らしく、この3つのHPでジャズ界の裏事情は殆ど網羅されているのではないかと思う程であります。
(LHO橋本)

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